彼女は安楽死を選んだ ~NHKスペシャル~

他人の命を奪うことをしてはいけないけど

自分で自分の死に方を選択することは

場合によってあってもいいことなんじゃないかな

と、この番組をみて考えた。

 

 

ミナさんは、ソウル大学を出て

韓国語の通訳等の仕事をバリバリし

40代半ばで第二の人生を歩もうと

児童養護施設で働く道を目指していた矢先

48歳の時に『多系統萎縮症』と診断された。

 

病状が悪化した去年3月、ミナさんは病院で

将来自分が付けることになるであろう

人工呼吸器をつけた患者を目の当たりにして

死を意識するようになり自殺未遂を試みるが

体に力が入らず未遂に終わり

その後何度も自殺未遂を繰り返し

スイスの安楽死団体ライフサークルに登録。

 

身の回りの全ての世話をしてもらっても

「ありがとう」と言うことさえ出来なくなる

もし自分がそうなったらと考えると胸が痛い。

 

その団体には全世界で1660人登録しており

日本人は17人いるそうだ。

 

日本で消極的安楽死

尊厳死として行われているが

(主に、延命措置の中止・差し控え等)

積極的安楽死(致死薬の処方・投与)は

まだ認められていない。

 

 団体の代表医師の言葉。

 

スイス人が最も重要視しているのは

自らの権利を行使したいということです

 

生きることも死ぬことも私に与えられた

権利だと思います

 

いつどうやって死ぬのか

自分の希望に従い決めるのが大事です

 

11月中旬、パソコンのキーも

打ちづらくなってきたミナさんは団体に

緊急に安楽死をしたい、とお願いするも

混みあっていて(この意味・・・)断念。

 

ミナさんは体の機能を失って生きることに

尊厳を見い出せない。

 

ミナさんの妹は、どんな姿になっても

家族に頼って生きてと願うがミナさんは

「お互いに疲弊する事が容易に想像できる」と。

 

同じ病気で延命措置を選択している人達もいる。

あたしが今、今の状況でミナさんの立場なら

生きていく勇気も死ぬ勇気もないかもしれない。

 

 

11月25日、ミナさんと姉たちはスイスへ。

キャンセルが出たのでどうぞ、とのこと。

 

安楽死に必要な主要件の確認をしに

団体の医師がミナさんのもとを訪れる。

 

・耐え難い苦痛がある

・明確な意思表示ができる

・回復の見込みがない

・治療の代替手段がない

 

これが主要件だ。

本当に望むかどうか2日間の時間が与えられ

付き添っている姉2人とミナさんは考え抜く。

 

医師は言う

自分が死にたいからといって

家族を傷つけてはいけません

 

大切なのは本人がきちんと別れを言い

家族が本人の気持ちを尊重することです 

 

姉たちは、思いとどまって欲しいと思う反面

安楽死が認められなかったら、また

自殺未遂を繰り返すという本人にとっての

地獄が始まるのかという不安にも襲われていた。

 

 

2日後、安楽死の要件を満たしている、と

判断が下される。実行は2日後だと言う。

 

安楽死に反対していた妹に電話し

「ミナお姉ちゃんのことを時々思い出してね」

と優しく笑いながら伝えるミナさんの傍らで

姉たちは肩を落としていた。

 

早く忘れてね、じゃなくて

時々思い出してね、てところがもう・・・。

 

ミナさんにとっては自分の尊厳を守るための選択

でも家族にとっては・・・。

 

その日の夜、最後の晩餐をホテルで過ごす

ミナさんと姉2人の様子がとても和やかで

切なかった。

 

姉が言う

「あたしの人生において

あんたの存在は大きかった

・・・大きかったわ・・・・」

 

姉たちにとって、スイスに来てから

救いとなる出来事があった。

初めてミナさんが入浴介助を姉に任せたのだ。

 

「ありがとう、ありがとう、ていう気持ちを

よく言ってたなと思って

 

こんなミナちゃんの言葉なり表情を見ていたら

大事な家族を安楽死で見送るというのは

やっぱり辛いんだけど

 

苦しまずに楽にさせてあげることができる

って思ったら

私たちが迷っちゃいけないなって・・・」

 

残された時間を惜しむように3人は

朝まで過ごした。

どんな会話をしたんだろう。

 

そして安楽死当日。

 

スイス郊外の静かな建物でミナさんは

書類にサインをしベッドへ向かう。

 

点滴の準備が始まる。

 

自分の意思で開始するため

(点滴を始めると数分で死に至るので)

医師から手順を説明される。

 

 医師は何の迷いもなく薬をセットする。

 

警察に提出するためのビデオ撮影が始まる。

自分の意思で死ぬということを示すためだ。

 

「じゃあ開けます」と笑顔でミナさんは

自身で点滴が落ちてくるように操作する。

 

姉たちに「ありがとねいろいろ」と

小さく手を振りながら声をかける。

 

「ミナちゃんありがとね」と姉。

 

ビデオは撮り続ける。

 

「こちらこそありがとう

 最後にこんなに見守られるなんて

想定外 ほんと」とミナさん

 

姉たちが近寄りミナさんの頭を撫でながら

「ごめんね」と言う「楽になれるね」

 

「そんなに体つらくなかったよ

病院にいつも来てくれたから

すごく幸せだった」

 

言葉がゆっくりになっていた。

ミナさんの言葉に姉たちは「ありがとう」と

頭を撫でる。

 

ありがとう、ありがとう、と言う姉たち。

ミナさんの最期の言葉は

 

「すごく幸せだった」

 

とても穏やかな顔をしていた。

ミナさんは52年の生涯を終えた。

 

テレビドラマではない、真実の姿。

人が死んでゆく過程をみるという衝撃。

 

 

日本で安楽死は認められていないため

ミナさんの遺体は日本に帰れず

遺灰はスイスの川に流された。

 

 

印象的だったミナさんの言葉

 「キリがないんだよ

人間なんていつ死んでも今じゃないような気がするの

 

私だって今じゃないかもしれない

気持ちは無きにしもあらずよ

 

ミナさんにもし夫がいたら、子どもがいたら

また違った選択をしたのかもしれないな。

 

ミナさんと私は同年代だ。

あたしは、死ぬ直前に

「幸せだった」て言えるだろうか?

 

 

 

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