親の「死体」と生きる若者たち 山田 孝明
2018年10月、ひきこもりの49歳男性が、自宅に母親の死体を遺棄した疑いで逮捕された(失語症のため取り調べも筆談だった)事件・・・。
失語症だったら更に、
誰にも助けを求められないじゃん・・・。
市民の会エスポワール京都通信12月号の一部
事件の報道が決して抑止力にならず人々の心の荒廃がさらに進むだろう生きている意味への問いかけさえむなしくなるだろう。私はもう手遅れだと思っている。くるところまできた。長年の引きこもりの支援って何だったのかと叫ぶのも辛い。
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「死体遺棄」という言葉は彼の外側から発せられたものです。彼は人との会話が怖くて誰にも相談できなかったのであり、結果として「死体」と生き続けることになってしまったのです。
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暴力的な引きこもり支援サービス団体の存在も
明らかになっているよね。
どれもこれも、悔し過ぎる・・・。
”本人が生きるための最善な方法”
が引きこもりなのに、無理やりそれを
奪う行為が許されていいわけがない。
必ず理由があるはずなんだからさ
それを無視したら解決はしない。
15年前、20年間引きこもっていた37歳男性が
両親を殺した事件についても本で触れていた。
母親は脳梗塞で倒れ父親は職もなく
経済的にも困窮する中、母親が震える文字で
「しにたい、殺してほしい」と紙に書いた。
男性は、天国にいっても仲良くして欲しい
という気持ちから、殺した両親の手を紐で結び
自分も死のうとしたが出来ずに自首したという。
涙が止まらなくなってしまったわ。
『人を殺してはいけない』という倫理が
無意味な世界が、すぐそこにあるんだな。
内閣府は、40代50代の引きこもりの人を
調査や支援の対象から外したそうだ。
4080・5090問題は、どうすりゃいいのよ。
国は、その人たちを見捨てるの?
行政機関の末端の現場の活動を積み重ねたノウハウと、高齢者介護支援をしているケアマネージャーや保健師、更に地域の警察の安全課などがチームを組み、社会的な善意の介入を行うことが不可欠。活動をバックアアップする法律も必要。「引きこもり緊急支援法」など。
生活困窮者自立支援法の問題について
底辺で苦しんでいる人たちが抱える現実からは、かいりするものがあり、手続きも申請主義なので困っているなら行政の窓口に相談にしてほしいと言われ相談に行ったものの、その相談によって傷ついた人たちがどれほどいるかを行政は知らない。
だから、そうした人たちが、あえて窓口に相談をしに出向くとは思えないことを行政に知って欲しい。
困ってるなら相談しに行け
などと言っても問題は解決しないのね。
自分の気持ちをうまく伝えられない人
コミュニケーションが苦手な人
各種書類が手元に残っていない人
様々な人がいるのだ。
不登校児について
25年前、不登校児は3万人弱で平成26年は17万人以上。現場の感覚からすると支えの仕方が間違っている。子供視点・若者視点が欠落し行政がしたい支援をしている。
子供が学校へ行けない理由を学校側にあると考えず、それぞれの子供の気質にその原因を求めたことが子供にとっての悲劇の1つで、教育の枠組みの問題。
不登校の若者の心性を、現場感覚で次のように理解するようにしている。
1.
学生時代に親以外の大人に対し「信頼」を獲得していない。思い出に残るような小学生卒業時の担任、中学卒業時の担任のような存在がいない。先生の言葉で傷ついている場合には更に深刻。権威ある人や医者などの専門家、行政的なものに不信感を持ち続けて生きている。
2.
仲間や集団の中で安心していられる体験をしっかり獲得していない。集団の中で緊張し、どうふるまっていいのか分からなくなってしまう。
学校の先生達も疲弊している中で
こういったことを理解してもらうには
どうしたらいいのかね・・・。
引きこもる本人には、何ひとつ問題はない。むしろ周囲の人々が、その存在をありのままに理解しているかどうかを問うべき時がやってきた。私たちが今生きている社会には「そうせざるをえなかった人たち」が生きています。だからこそ、そうせざるをえなかったことに対する理解が必要なのです。私たちは今、そんな時代を生きているのです。
著者は、もう手遅れだが、悲劇的な終末は
防ぐことができる、とも言っている。
この本、たくさんの人に読んでほしい。
引きこもりのイメージが変わると思うわ。
こんなに本の内容を書いてもいいのか?
と思いつつも、知ってほしいから
たくさん引用させてもらった。
最後にもうひとつ
最も印象深かった文章を書いて終わる。
動かないもの、動かせないものであるご本尊さんは、引きこもりの若者そのもの。本人以外は気づいていない。ずっと座っている後ろ姿はまるで「引きこもり仏」に見える。混乱した不幸な家庭では、家族間に生まれた病理が、たった1人に背負わされる。家族の中で最も大切にされるべき人ですよ。