『他人を非難してばかりいる人たち』岩波 明

他人を非難してばかりいる人たち

バッシング・いじめ・ネット私刑

~岩波 明~

 

正義感を装った”傷つけたい人々”だらけの日本

 

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ブログや掲示板への書き込みは、常に見知らぬ誰かにチェックされている。他人のコメントや発言内容のアラ探しに人生を懸けている人たちが、途方もない数存在するのである。

 

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あることないこと無責任なコメントが付け加えられて、誹謗中傷の対象となる。さらには、ネットの住人たちは発言したおおもとの個人を特定し、その実名やプロフィールまでもネット上にさらして「なぶりもの」として吊るし上げるし、現実世界においても被害が及んでいる。これが「炎上」である。

 

ここには、落ち着いた討論をしようとする姿勢も、寛容さのかけらもない。ネット住民の多くは、一見「正義派を装っていることが多いが、彼等の目的は、他人を傷つけること、徹底的に糾弾しひねりつぶすことにあるからである。

 

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ネット住民たちは、バッシングすべき対象が見つかれば、相手はだれでもよい。ただ、他人を徹底的に攻撃することが、心地よいのである。

 

このように醜悪でグロテスクであるのがネット住民の実像だが、はたして、われわれは、彼らを非難する資格を持っているのだろうか。
なぜなら、報道やニュースというものは、本質的に人の不幸を伝える性質を持つものであり、引き取り手であるぼくたちは、ニュースの内容が不幸で悲惨であればあるほど、それに引き付けられることを否定できないからである。「炎上」の被害者たちが、とことんバッシングされているのを、ネット住民だけでなく、ぼくらも楽しみながら見ている。

 

こんなに引用しちゃって大丈夫かな。

 

登山家の栗城さんのことが頭をよぎり

以前みたNHKの特番を思い出した。

栗城さんに浴びせられる数々のバッシングは酷く

かなり栗城さんは追い詰められていたようだ。

 

最も恐ろしかったのは、栗城さんが亡くなった後も

バッシングが続いていたこと。本当に恐ろしい。

 栗城さんを批判し続けた掲示板の中の言葉

 

『栗城死んだって!ネタじゃない』

『えっ』

『なんてこったい』

『え、マジなの?』

『叩けない批判できない寂しさを知った』

 

恐ろしい・・・。

これ、栗城さんの仲間や家族の前で言える?

 

インターネットの配信会社の人が

それらの言葉を見ながら

「ショーを楽しんでたのにそのショーが

まさかこんな形で終わるとは・・・

というアンチの自分勝手な表現でしょうね」

 

的なことを言っていたが

こういった場所が提供されている間は

ずーっと続くんだろうな、こういうの。

 

そういう負の連鎖みたいなエネルギーで

電気でも発電できるならまだいいけど。

いや、良くないけど。

 

そういう言葉を書き込みそうになったら

「アッチョンプリケーッ」て叫ぶとかは?

 

そういう言葉を書き込みそうになったら

EZ DO DANCEの動画に合わせて

踊るとかは?

 

そういう言葉を書き込みそうになったら

外に出て、ノラ猫の写真撮るとかは?

 

そういう言葉を書き込みそうになったら

台所に立って、料理するとかは?

 

はー。

 

あたしは在日韓国人

ネット上の韓国人への誹謗中傷や

ヘイトスピーチ

恐怖を覚えることがある。

 

ならばネットなんて見なければいい。

でも、身近な現実社会で

そういうことに遭遇することもある。

 

そのたび、あたしはそういうことはしない

と強く心に誓う。

 

そういうことをする人たちは

なんらかの問題を抱えている。

 

その人たちの、その問題を解決すること

どうしたら、その問題が起こらなくなるか?

を考えて実行していくことが

誹謗中傷をなくす唯一の方法だろうな。

 

 

 

 

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